教えのやさしい解説

大白法 675号
 
三国四師(さんごくしし)
 三国四師とは、インド・中国・日本の三国に出世し、法華経を弘められた釈尊・天台大師・伝教大師・日蓮大聖人の四師をいいます。
 大聖人は『顕仏未来記(けんぶつみらいき)』に、
「伝教大師云はく『浅きは易(やす)く深きは難(かた)しとは釈迦の所判(しょはん)なり、浅きを去って深きに就(つ)くは丈夫(じょうぶ)の心なり。天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦(しんだん)に敷揚(ふよう)し、叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す』等云云。安州の日蓮は恐らくは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通せん。三に一を加へて三国四師と号(な)づく」(御書 六七九n)
と、伝教大師の『法華秀句(しゅうく)』を引用され、インドの釈尊が出世の本懐として顕した法華経を、正しく継承し弘宣(ぐせん)された人師として、中国の天台大師、日本の伝教大師を挙げられ、その法華経弘通の系譜(けいふ)は日蓮に受け継がれ、末法に流通しているのであると示されました。

 天台破折のための三国四師
 先の『顕仏未来記』は、佐渡在島中の文永十(一二七三)年に著された御書です。文永八(一二七一)年の竜の口法難において久遠元初(がんじょ)の御本仏と発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)された大聖人は、それまでの念仏破折を中心とした権実相対(ごんじつそうたい)の法門より一歩進めて、本迹相対(ほんじゃく)・種脱相対(しゅだつ)の法門を説かれました。つまり権実相対は、法華経と法華経以前の爾前経(にぜんぎょう)とを相対する法門です。そのため念仏宗については破折できましたが、一往、法華経を所依(しょえ)とする天台宗を破折するには法華経の内容に立ち入った教相判釈である本迹相対・種脱相対を用(もち)いなければならなかったのです。
 日本天台宗は法華経を所依とし、当然のことながら伝教大師からの正統を主張します。しかし、大聖人当時の比叡山天台宗は、法華経を中心とした天台大師の五時八教は立てるものの、慈覚大師・智証大師以降、次第に密教化が進み、天台大師・伝教大師の法華経を中心とした正しい仏法は完全に喪失(そうしつ)してしまっていたのです。そこで大聖人は、御自身こそ法華経正統の天台大師・伝教大師の跡を継ぐ者であるとして、「三国四師」を宣言され、当時の天台宗を本迹相対・種脱相対の上から厳しく破折されたのです。

 「三国四師」の内証
 「三国四師」の宣言は、単に大聖人の意に添う人師を選ばれたものではありません。深い内証の上からの御自覚によったのです。大聖人は『立正観抄(りっしょうかんじょう)』に、
 「天台大師は昔霊山に在っては薬王と名づけ、今漢土に在っては天台と名づけ、日本国の中にては伝教と名づく。三世の弘通倶(とも)に妙法と名づく」(同 七六九n)
と、天台大師・伝教大師は、法華経『嘱累品(ぞくるいほん)』において釈尊より法華経の総付嘱を受けた薬王菩薩の再誕であると示されています。その天台大師・伝教大師は、像法時代の本已有善(ほんいうぜん)の衆生を成仏に導くため、釈尊の使いとして出現し、法華経の教えによる一念三千の観法を説き示したのです。
 さらに、大聖人御自身の内証については『南条殿御返事』に、
 「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所、喉は誕生の処、口中は正覚の砌なるべし。かゝる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき」(同 一五六九n)
と、大聖人の胸中に、釈尊より霊鷲山において相伝した「一大事の秘法」が御所持され、大聖人の住処が「霊山浄土」であることをも宣言されています。すなわち大聖人こそ、釈尊より滅後末法の弘通を託(たく)された上行菩薩の再誕であることを明かされたのです。
 その上行菩薩の内証は『百六箇抄(ひゃくろっかしょう)』に、
 「久遠名字已来(いらい)本因本果の主、本地自受用報身の垂迹(すいじゃく)上行菩薩の再誕、本門の大師日蓮」(同 一六八五n)
と、「久遠元初自受用報身」であると示されています。つまり大聖人は外用(げゆう)の面では上行菩薩の再誕、内証の面では久遠元初自受用身の再誕にましますのです。

 外面的・歴史的系譜たる「三国四師」
 先に述べたように、大聖人はもとより久遠元初の御本仏であられ、外面的・歴史的な「三国四師」といった法系譜は必要ないかに思われます。では何故、大聖人は「三国四師」を示されたのでしょうか。
 大聖人の御出現には三つの立場が考えられます。
一、久遠の本法を所持(しょじ)される御本仏の出現。
二、法華経の会座(えざ)において釈尊より結要付嘱(けっちょうふぞく)を受けられた地涌(じゆ)上行菩薩の出現。
三、安房片海に誕生し、清澄寺に出家し、比叡山に学んだ歴史上の人物、凡夫僧・日蓮大聖人の出現。
 その上で、大聖人を上行菩薩であると拝したり、御本仏であると拝することは非常に難解(なんげ)であり、深い信心に徹(てっ)しなければなりません。つまり、その深い信心に至らない者に対して、三番目の凡夫僧・日蓮大聖人という外面的な立場においても、法華経の正義を宣揚(せんよう)された天台・伝教の教えを受け、正しく法を弘通しているのであるという系譜を示す必要があったと拝されるのです。
 そして、大聖人は三つそれぞれの立場を示されましたが、終極的には御本仏として、釈尊・天台・伝教の三師の仏法、そのすべてを収める根源の本因下種仏法を打ち立てられました。
 その下種仏法は「日蓮日興」の唯授一人の血脈相承を根本とし、日目(にちもく)上人以来、歴代の御法主上人によって、今日まで日蓮正宗に正しく相伝されていることに、私たちは御報恩感謝申し上げ、折伏弘通に邁進していきましょう。